ジャーナリストとしての代表的な実績例

日経マイクロデバイス 19954月号

目指せ儲かる1000ドル・パソコン

 高額商品だったパソコンの実売価格を、一般家庭に普及するためのマジックプライスとされる1000ドルを切るためには、技術的に何をしなければならないのかを検証した記事。1000ドル・パソコンという名称は、知る限りでは、この記事で初めて使われた言葉。デバイス・レベルからの作り込みによって、性能を維持し、なおかつメーカーが利益を出せることを示した。

 

日経マイクロデバイス 19955月号

活気付くディジタル・カメラ

マルチメディアの入力装置に

 初めて商業的に成功したデジカメであるカシオ計算機の「QV10」が発売された直後に報じた記事。当時のデジカメは、目新しいパソコンの周辺機器という位置付けが一般的であり、多くのカメラ・メーカーは本気で事業に取り組んでいなかった。この記事では、デジカメは、半導体技術の進化によって一気に高性能化し、将来的には銀鉛カメラを駆逐する可能性があることを示した。カメラ業界で賛否両論を巻き起こした。

 

日経マイクロデバイス 199410月号

x86 MPU、自由競争時代に突入

 パソコン向けマイクロプロセサの王者であったIntel社のx86マイクロプロセサに、互換製品が次々と登場していることを受け、互換製品の著作権上の正当性を検証した記事。当時、日本の半導体メーカーは、著作権上の問題から、x86互換製品の事業に手を出せないでいた。この記事では、互換製品に問題がないことと、各社の製品計画、事業戦略などもあわせてサーベイした。

 

日経マイクロデバイス 199510月号

ゲート・アレイにない機能を活かし、自立して市場拡大を図るFPGA

マイクロプロセサ、DSPに続く第3の波に

 当時、ASIC開発における試作用デバイスとみなさていたFPGAが、将来プログラマブル・デバイスとしてのマイクロプロセサやDSPと同等の重要性を持つ可能性があることを予見した記事。特に、通信機器への応用で、他のデバイスにはない利用法があることを明確に示した。

 

日経マイクロデバイス 19972月号

21世紀を拓くための人材と技術を育てた「TRON

月に行けなかった「アポロ計画」が残したもの

 国産パソコンを育てようとした「TRONプロジェクト」の歴史的な意義を再評価した記事。Wintel体制全盛期にあった当時、TRONプロジェクトは、完全に失敗したプロジェクトであると見なされていた。しかし、実際には、同プロジェクトで育った人材と、開発された技術が、日本の電機メーカーの強さを支えていることを示した。

 

日経エレクトロニクス 1998323日号

ソフト危機 ディジタル家電開発が水平分業へ

 ディジタル家電の開発において、ハード開発よりもソフト開発の方が大きな負担となることを報道した記事。家電製品の分野で、かつて一斉を風靡した日本の電機メーカーは、にわかにソフト開発の強化に着手したが、後手に回っていることを伝えた。解決策として、ソフト開発を外注する流れが生まれていることも示した。

 

日経エレクトロニクス 1999725日号

RF回路で集積化がついに進行、基盤が受動部品をのみ尽くす

 電子機器の中で、半導体は集積化が進み、機器の小型化と高性能化に寄与していた。これに対し、コンデンサやインダクタ、抵抗などの受動部品は、集積化が進んでいなかった。この記事では、初めて受動部品の集積化技術が実用に向かっていることを報道した。携帯電話機などの小型化は、ここで報道した技術によって進んだ。

 

日経エレクトロニクス 2001115日号

ケータイ世界制覇

 当時一世を風靡していたiモード対応機をはじめとする日本の携帯電話が、世界の中で圧倒的な技術競争力を持っており、その力を使えば、日本メーカーの製品が世界を席巻できる可能性があることを示した記事。ただし、実際には、日本のメーカーは、世界市場に向けての技術の提案に失敗し、スマートフォンの時代になって現在の衰退を招いた。

 

日経マイクロデバイス 20097月号

電子デバイス、進化の別解

 半導体など電子デバイスが進化していくための開発機軸として、微細化と集積化という手法は、他に代わるものがない王道の手法だった。ところが、Mooreの法則にかげりが見られるようになり、進化の機軸がぼけてきた。デバイスの3次元化という手法もあったが、集積化を延命できる効果はあるが、新しいパラダイムを生み出す手法ではなかった。この記事では、電子デバイスを今現在ある道具や構造物に、作り込むという新しいコンセプトの技術を発掘。実現に向けた技術開発の動向を報じた。